TIPコラム
大きな庭の中に立つ近代数寄屋住宅 旧猪股邸住宅、1967
2026.02.27
東京・成城学園駅から歩いて5、6分ほど、区画の大きな住宅街の中でもとくに大きな敷地の中に建つ家。敷地は560坪、木造平屋の延べ床面積は100坪を超えます。待合のスペースをもつ門を抜け、一枚引き戸の腰高障子の玄関を開けると、大きな庭と一体とした建築世界へと足を踏み入れます。まず、驚かされるのは、居間のスケール感。絨毯敷きの天井高は3メートル、庭に向けて開け放たれた開口部の幅は2間半(4.5メートル)ほど。ここは、椅子とテーブルが配置され、客を迎える「表の空間」だったと想像されます。ふつうの住宅レベルを大きく超えたものです。

建築家・吉田五十八は、1894年生まれ。1967年に竣工したときは70歳を超えていました。アルミサッシを用いない総木造の住宅としては、これが最後だといいます。同世代の分離派の堀口捨己(1895)や石本喜久治(1894)らとはことなり、欧米流の近代建築ではなく、吉田は日本建築の革新に取り組みます。後に「近代数寄屋」と呼ばれましたが、本人は、日本建築の文脈の中で近代建築をつくっていたと考えていたようです。かつて洋風建築は建築家が担当し、和風建築は大工(棟梁)が担当するという、暗黙の了解がありました。吉田は、あえて大工の世界に踏み込み、建築のあり方を変えていきます。吉田が言うに「(日本建築の)明朗性に欠けて居る事、即ち近代性に乏しい事」の変革への取組みです。長年続けてきたことを変えることを嫌がるのが大工たちです。その中へ、吉田は入っていきました。たとえば、吉田は、柱を壁に隠すために大壁を用い、天井と壁の材料をそろえて一体化させたり、長押や鴨居を取り去り面をすっきりさせるなど、壁や天井を線ではなく面で構成することで、日本建築の近代に向けて大きな変革を推し進めていきました。


この住宅には、吉田建築のエッセンスを見ることができます。屋根は、勾配のゆるい軽い印象の瓦葺きとなっています。居間・婦人室・和室の天井高に合わせて、屋根は3つに分節されています。庇は、もっと勾配のゆるい土庇。さらに注目されるのは、居室の床がフラットに揃えられていることです。たとえば、次の間から廊下、洗面所方面を見ると、床の段差がありません。「バリアフリー」という言葉が一般化する以前に、吉田の手によって実現されていたことになります。


東京・日本橋生まれで、父親が数え58歳の時に生まれたので五十八(いそや)と名付けれました。関東大震災で壊滅的な被害を受ける以前、江戸文化の色濃く残る下町で生まれ育ち、自身、長唄に長けていたという素養の上に、大学での建築教育が結びつくことで育まれた吉田の建築世界。モダニズムの退潮の中で、私たちは、その豊かな世界に気づかされたのです。なお、1998年に建主の猪股猛の遺族より世田谷区に寄贈され、翌年より一般財団法人世田谷区トラストまちづくりの管理運営により、一般公開されています。(鈴木洋美)



参考図書:『吉田五十八作品集』新建築社、1976/砂川幸雄『建築家吉田五十八』晶文社、1991/藤森照信・田之倉徹也『五十八さんの数寄屋』鹿島出版会、2020/富永譲『吉田五十八自邸/吉田五十八』(ヘヴンリーハウス 20世紀名作住宅をめぐる旅5)東京書籍、2014
