TIPコラム

世田谷の緑豊かな郊外地に立つ別邸建築   旧小坂家別邸(1937年)

2026.05.27

 明治中期ごろ、隅田川沿いにあった別邸が東京郊外へと移っていきました。その代表的なもののひとつが、自然豊かな立川市から大田区まで、約30キロにまたがる武蔵野台地の段丘崖である「国分寺崖線」です。これは、多摩川が長い年月をかけて台地を侵食することでつくられたもので、そこには湧き水があり、さまざまな動植物があつまり、古墳などものこるなど、動植物たちと人類が歴史をつむいだ場所でした。旧小坂別邸は、この国分寺崖線上の端にあり、敷地約2,900坪という広大な面積の約半分は斜面地となっており、湧き水もある地形を活かした庭がつくられ、斜面上の平らな一画に建築面積100坪の住宅が建てられています。

玄関正面。樹木に隠れて見えないが、急な傾斜をもつ瓦屋根の上にさらに小さな屋根(越屋根)がのっている
玄関内部。小屋組は、多摩の古民家の部材を用いている。床は、土を固めたタタキとなっている

 別邸とは、自然豊かな土地に立つ週末住宅といってもいいもの。旧小坂邸のあたりには、かつて旧鮎川義介邸、旧岩崎別邸、旧高橋是清邸などがあり、政財界の要人たちの別邸が集まる場所となっていました。その中で、いまでも唯一、当時のまま残っているのがこの旧小坂邸です。施主は、実業家・政治家であった小坂順造(1881-1960)。1937年に竣工したこの住宅は、小坂の好みがさまざまに取り入られている、別邸建築のようすをいまに伝えています。

居間より茶の間方向を見る。正面の欄間には、「五三の桐」の透かしが入っている

 玄関の正面に立つと、成長した樹木に隠されて見えませんが、傾斜の急な瓦屋根の上には越屋根がのる民家風の佇まいとなっています。玄関の扉を開けて中に入ると、そのわけがわかります。床は土を踏み固めたタタキで、見上げると高さ4メートル近い天井部分には、多摩の古民家から部材をもらい受けてつくられた小屋裏がのぞきます。小坂の長野の実家にある古民家を連想させるともいわれますが、都会の喧騒から別世界への入り口にふさわしいものです。10畳の茶の間と12畳半の居間は続き間となっており、床間は杉の面皮柱となっています。庭側には縁側が回っており、ここからは自慢の庭が目に入ります。 

イギリスの山小屋風の書斎。丸太の梁、「なた削り」の壁が雰囲気を醸し出している
茶室の内観。織部床となっている
寝室からサンルーム方向を見る。天気の良い日には、サンルームからは、富士をのぞむ

 小坂好みがもっとも発揮されているのが7.5坪の書斎です。当時流行していたという、イギリスの山小屋風の内装。柱、天井に現しの丸太、少し不揃いな壁の「なた削り」が、独特な雰囲気を醸し出しています。装飾用のマントルピースの上には、仏像が置かれていたといいます。6畳の茶室は、ガマの茎で編まれた天井となっており、床の間は、略式の織部床。そして、寝室は、漆喰の天井にシャンデリアが下がる洋風。サンルームからは、晴れた日には、遠く富士がのぞまれます。和洋を巧みに折衷させたつくりからは、くつろぎのスペースとしての別邸住宅のありようが、色濃く感じられます。大きな手が入らず、当時のようすがよく保存されている本住宅は、いまや貴重な文化遺産といえるでしょう。(鈴木洋美)