TIPコラム

「小さい日本の家と云うもの」   林芙美子邸(現林芙美子記念館)、1941

2025.12.26

庭より生活棟(右)とアトリエ棟(左)を見る。中庭のモミジの紅葉が終わりかけているが、いまだその彩りは鮮やか。生活棟の南面する茶の間は広縁をもち、その2面はガラス戸となっている。庭の季節の移ろいをもっとも感じることができる。芙美子の母・キクは、床の間の床柱前に、大きな座布団を敷いて座っていたという(2025年12月中旬撮影)

 1930年、改造社より刊行された『放浪記』がベストセラーとなり一躍、有名作家となった作家林芙美子。女友達の誘いで現在の新宿区落合へ移り住みました。川、丘、畑などの起伏があるこの地を愛した芙美子は、結局、そこに終のすみかとなる家を建てることになります。この間、ヨーロッパに約1年暮らし、西洋館に8年住んだ芙美子が選んだのは日本式家屋でした。

中庭を見る。生活棟(右)とアトリエ棟(左)の分棟形式になったので生まれた空間。敷石が置かれ、モミジが植えてある。このため、中庭に面して配置された風呂場と洗面所には、窓を設けることができた
芙美子の仕事部屋(書斎)。当初は、納戸として計画されたが、寝室となったところが陽が入りすぎるということで、納戸を書斎へとかえたという。右側が家族の寝室

 

 芙美子のエッセー「昔の家」には、「巴里(パリ)から戻って、私は小さい日本の家と云うものを考え始めた」とあります。芙美子は家を建てることを「仕事」と書いていますが、それほど真剣に取り組んでいます。かけた年月は、足掛け6年。すべて一度にではなく、だんだんと進めていきます。資金を貯めるのに2年、設計に1年、信頼できる大工にまかせて3年となります。芙美子自身、建築にかかわる本を200冊読み、知己の建築家・山口文象に相談し、自分でも百枚近く青写真をつくり、エレベーション(立面図)も見てもらっています。(いったいどんな図面なのか興味をもちますが、残念ながら残されていません。)実作の建物を見て、無口で気むずかし屋な渡邉大工を選び、芙美子は渡邉大工と山口の所員・角取とともに、京都郊外の民家を見て歩きます。芙美子の脳裏にあるのは「小さな平屋の民家」でした。そうこうするうちに、芙美子の中に、家の姿が出来上がっていったようで、「入口は狭く、奥行きを深く」、「東西南北の通風」、「茶の間と台所を主に」という住まいのあり方でした。

茶の間より中庭を見る。銘木というとびきり高価なものではないが、芙美子が渡邉大工と深川の木場に行って求めた。天井は秋田杉、柱は杉の面皮で、縁側にはやに松を使っている(「昔の家」)
寝室より次の間を見る。次の間には、芙美子が大工につくってもらった更紗をはった置押入れ。書庫には書院窓があり、寝室・次の間・書庫の南北に風が抜ける構成となっている

 

 1939年に、300坪の土地を購入。建てるまでに時間がかかったため、準戦時下のもと建坪30坪という建築制限に出くわしました。そのため、芙美子名義と夫名義で2棟を建てたのですが、それが現在、生活棟とアトリエ棟と呼ばれる分棟形式となる直接のきっかけでした。生活棟は、玄関と茶の間、客間に水回り(台所、厠、風呂場)のあるオモテ空間。茶の間から芙美子の愛したモミジ、寒椿、ザクロ、カルミアなどのある庭をみる絶好の場所。一方、アトリエ棟はウラ空間。芙美子夫婦の書斎とアトリエ、家族の寝室があります。ここまでは、執筆催促に訪れる編集者たちは立ち入ることはありません。本宅ができてからも、庭と門には1年ほど遅れてからとりかかり、まず門ができてつぎに庭にとりかかるという具合で、この家はこのようにだんだんと完成していきました。 

敷地の北側の高いところに上がって屋根を見る。平屋の2棟合わせて60坪となる屋根はかなりのボリュームを感じさせる。中庭から飛び出した紅葉したモミジの木が、周囲の樹木と不思議な調和を生み出している
林芙美子邸 平面図(新宿区立林芙美子パンフレット) 上が南側。アトリエが、現在、展示室となっており、新宿区がもつコレクションをもとに、年4回、展示内容が替わる。芙美子が亡くなる直前に登場したNHK「若い女性」でゲスト出演したときの様子を見ることができた(NHKアーカイブ)

 

 芙美子が、ここで暮らしたのは、1951年心臓の病に倒れて亡くなるまでの10年間。その後、夫林緑敏が亡くなる1989年まで守り通し、1991年に土地と建物を新宿区が買い上げ、その他の日用品、芙美子にかかわる資料などは新宿に寄贈され、翌1992年に「林芙美子記念館」として一般に公開されました。この間、屋根の瓦を葺き替えた以外は、まったく建物に手を入れていないそうで、これは渡邉大工の技量のたまもの。芙美子が、多くの協働者たちとつくり上げたこの家は、私たちに残された彼女の「作品」のひとつと言ってもいいでしょう。(鈴木洋美)

※参考 林芙美子「昔の家」(『藝術新潮』第1巻第1号、1950.1)