TIPコラム

長屋門をもつ故郷へ錦をかざった家   遠山邸(1936、重要文化財)

2026.06.29

長屋門の正面。大名屋敷や代官屋敷の長屋門を参照しているという
東棟の正面。千鳥破風をもつ茅葺屋根の民家。豪農であった生家を模したという

 埼玉の商都、川越の中心部から車で30分ほどの農村地帯に、それはあります。旧日興証券(現SMBC日興証券)の創業者として成功を収めた遠山元一(1890-1972)が一家の再興と、母・美以の終のすみかとして建てた家です。豪農だったものの父親の代で没落、丁稚に出て証券業界で成功をおさめた元一が、故郷へ錦をかざった家です。もとの敷地2,700坪の土地を買い戻し、そこに当初40〜60坪ほどで計画していたものの、どんどん中身はふくらみ、現在の建坪約300坪をこえる規模となりました。現場を任されたのは、元一の弟の芳雄。携わった建築家は東京帝大出身の室岡惣七、大工棟梁は中村清次郎がつとめました。使用した材料はもとより、建築のディテールまで厳密に検討しているといいます。

東棟の18畳の間(居間)。竣工時は、民家のように、天井が張られていなかった
中棟の大広間より次の間を見る。大広間の床間を背に庭方向を見ると、3方より庭が目に入る
西側廊下。掛込み天井(左)に畳と板張りの床の組合せ

 まずは、遠山家の再興のシンボルといってもいい入口には長屋門をおき、住棟は独立した個性をもつ東棟、中棟、西棟の三つにわけ、それを渡り廊下でつなぐ構成となっています。長屋門をくぐって最初に向かうのが、千鳥破風をもつ茅葺屋根の民家。豪農であった生家を模したものだといいます。中心には、18畳の囲炉裏があり、生前、母・美以は、友人たちと憩ったこともあるとか。中棟は、一転、都会風の書院づくり。1階の18畳の大広間と10畳の次の間からは、庭の全景が見えます。ゲストを迎え入れるための中心であったのでしょう。中棟のみ2階建てとなっていますが、そこはプライベートのためのスペースとなっており、洋風のしつらえも取り入れられ、当時都会ではやっていたアールデコ調の照明器具なども採用されています。西棟は、母・美以のためのスペース。もっとも落ち着ける数寄屋づくりを採用しています。3つの部屋を雁行させて配置することで、庭へと開いています。茶室でもある西棟7畳の間の庭に面した「軒内」の床には、磚(せん)という敷瓦が貼られ、この部屋と庭とをつないでいます。

西棟の12畳の間を見る。2畳の床の間は、書院造りの上段の形式を取り入れた
西棟の7畳の間(茶室)。庭に面した2面には、磚(せん)という敷瓦が貼られている

 庭に出て、3つの棟を眺めると、民家、都会の戸建て、数寄屋の独立した建物が並んでいるようすが目に入ります。遠山邸は、この3棟が、渡廊下で見事に一つに束ねられたものであることが、あらためて理解できます。1936年当時の日本における建築形式を集大成したものとなっており、貴重な建築遺産となっています。1970年に遠山記念館として一般公開され、2018年には国の重要文化財となっています。帰り際に会ったボランティアのガイドをつとめる男性によると、遠山邸の一帯は、荒川、入間川、都幾川の3つの川に囲まれたエリア。家づくりに取り組む前に、防水対策のための敷地の嵩上げから工事は始まったといいます。遠山邸は、建物と庭ともに維持管理の行き届いており、一度は訪れたいところです。(鈴木洋美)

庭より東棟、中棟を見る。独立した民家と住宅が並んでいるように見える

※参考『重要文化財 遠山邸』遠山記念館、2006