TIPコラム
美術作品としての建築 旧朝香宮鳩彦邸(現東京都庭園美術館)1933
2025.06.29
もっとも大きく、多くのものを包含している美術作品とは、建築ではないでしょうか。世界中で広く読まれるエルンスト・H・ゴンブリッジ『美術の歴史』には、時代を画する建築作品が登場します。その伝にしたがうと、旧朝香宮邸は、日本におけるアール・デコを代表する作品として、記憶に留められるべき<美術作品>だといっていいと思います。(注:アール・デコとは、フランス語アール・デコラティフ(装飾美術)の略。建築や家具、ファッションなども含む、パリを中心とする1920、30年代のデザインの動向をさします。)

朝香宮鳩彦は、1887年久邇宮朝彦の第8王子として生まれ、1910年明治天皇の第8皇女允子と結ばれます。鳩彦がアール・デコと出会ったのは、1922年に陸軍士官学校を卒業後、軍事研究を目的にフランスへ遊学する機会を得たことです。不幸にも、鳩彦は交通事故に遭い、片脚が不自由になるのですが、かけつけた夫人とともに、鳩彦は治療終了後もフランスにとどまり、その文化に深く接することになります。1925年のパリで開かれたアール・デコ博覧会(パリ装飾美術万国博覧会)ともめぐりあうことができました。夫妻が、フランスの工芸やインテリアに深く感銘を受けたことが、旧朝香宮邸の誕生の背景となりました。



1906年に鳩彦が朝香宮家を創立し、結婚の際に与えられた旧白金御料地に、旧朝香宮家はたちます。門を抜けて玄関へとつづくアプローチは歩くにしては長く、やはり車の動線となっています。そして現れるのが、シンプルな直線と円の幾何学的な立面をもつ正面外観。玄関を抜けると、大広間があり、部屋中を香水の匂いで満たしたに違いない香水塔があり、大客室、大食堂へとつながります。なるほど、旧朝香宮邸は、フランスの貴族やブルジョワたちが私邸でサロンを開いたように、それにならった設えにしたことが納得できます。設計のまとめ役は、宮内省の建築技師・権藤要吉でした。権藤は、宮内省きっての名建築家として知られ、1925年イギリス、フランスをはじめとする建築視察の旅に出て、約160施設を訪ねています。幸いなことに、権藤自身も、1925年のアール・デコ博覧会を見ていたのです。


シンプルな外観意匠の中にあるインテリアや調度品などを含めて、アール・デコらしさが実現した背景には、内装設計におけるフランスのアンリ・ラパンの協力があったからでした。建築史家の藤森照信は、ラパンへの要請は夫妻の強い意向があったとし、通常の建築費が国費を上回る分については、夫妻の私費払いといすることで可能になったと推測しています。かくして、玄関に入った早々に出会うガラス工芸の四人の女性像は、アール・デコを代表するルネ・ラリックの作品であり、大食堂のシャンデリアもラリックの作品、大食堂の暖炉の上の壁と一体化した壁画は、ラパン自らの手になるなど、工芸作品、美術作品と一体化したアール・デコ建築が可能になったのです。旧朝香宮邸は、内装や調度品を含めて建築まるごとがアール・デコ作品となっている、日本における稀有な例といえるでしょう。


最後に、1933年の竣工後から現在までの変遷について。1947年に、朝香宮の手をはなれ、吉田茂の首相時代に首相公邸として使用されます。1955年には白金迎賓館として使われ、各国の国王や大統領を迎えました。1974年には、白金プリンス迎賓館として民間催事施設となり、1981年に東京都の所有となり、1983年に、豊かな庭園をもつ美術館として開館しました。年1回、建築公開展において、さまざまなテーマを設けて、建物の魅力を紹介しています。(鈴木洋美)

・参考図書 藤森照信・増田彰久『歴史遺産日本の洋館 第5巻』講談社、2003
・ここでの使用写真は、プレス内覧会(建物公開2025 時を紡ぐ館)で撮影したものです。
