TIPコラム

緑の中の小さな洋館  雑司が谷旧宣教師館(1907)

2023.05.22

エントランス部分をみる

 都内でも有数な墓地、雑司が谷霊園のそばにある閑静な住宅街のなかに、それはひっそりとあります。木造躯体に貼られた下見板には白のペンキが塗られ、縦長の窓枠には緑のペンキが塗られています。小ぶりながら、明らかに洋風の木造建築ですが、周囲に馴染んでいるのは庭に植えられた樹木や四季の草花の中に建つからに違いありません。

1階食堂をみる

 雑司が谷旧宣教師館は、明治時代、アメリカからピューリタニズムにもとづく宣教活動のために来日したJ.M.マッケーレブが1907年に当時の新興住宅街であった雑司が谷に居宅として建てたものです。「カーペンターゴッシク様式」(大工によるゴシック建築)の代表作品といわれますが、つくりはとてもシンプル。玄関部分の方杖などにデザイン要素はあるものの、無駄な装飾はまったくありません。総2階のつくりで、1階と2階には居室が各3室あり、台所は1階に、浴室は2階にあります。この手の住宅として不思議なのは階段が2つあること。1階部分は、来客をふくめたパブリック要素が強く、2階部分は2つベッドルームと書斎というプライベート要素が強く、奥の階段は裏側から2階へ入れる工夫だと思われます。さらに付け加えると、室内で靴を脱がない生活を想定しているためか天井が高いことと、壁に占める窓の面積の大きいことです。

庭側よりみる

 庭側にまわると、さらに明らかになります。そこは、まるで温室のように全面ガラス窓でおおわれているのです。プランを見ると「広縁」と書かれていますが、半屋外空間をガラス窓で部屋の内部に組み入れたものであり、サンルームのようでもあります。冬の晴れた日であれば、さぞかし快適だったろうと推測されます。ところが、断熱性能が期待できないガラス窓で、寒空の冬とその夜間、暖炉のみで冬を越せたのかという疑問が生じてくるのです。あたためても、熱はどんどん逃げていったはずではないか。

1階広縁をみる

 ここでもう一度、プランを見て、この住宅自体がダブルスキン(二重の皮膜)のしくみになっていることに納得するのです。コアとなる居室部分の一部は窓となっているものの明確な壁で囲まれており、その外側は広縁を包むガラス窓がしっかりとおおっているのです。言わば、「広縁」部分はバッファゾーンとなり、夏日には、窓を開け放てば、樹木や草花で冷やされた風が通り抜けるためのルートとなり、冬の寒い日には寒気を緩和させるはたらきをします。ここから、囲炉裏や火鉢という局所暖房の中心の日本にはない、居室全体をあたためるという洋風住宅の考え方を読み取ることができるのです。(鈴木洋美)

2階広縁をみる