TIPコラム

浦安の民家を訪ねる

2021.10.28

 民家は、その地域の生きた「証言者」とも言われることがあります。

 何十年、場合によっては、百年を超えて変わらずに立ち続けることで、民家は街と人々の歴史を知る手がかりを私たちに与えてくれます。たとえば、民家がそこにあり続けることは、都市計画などによって道が変えられていないことを教えてくれます。浦安のような漁業をおもな生業としてきた街では、海につながる川(境川)を中心にかなりの高密度で民家の集落が構成されてきたことを、路地状の道を通して改めて知ることができます。

 かつて店舗や映画など立ち並んだという通称「フラワー通り」の脇にある、大人二人がすれ違えないほどの細い路地を通りぬけると、境川に突き当たります。その一角に立つのが「旧大塚家住宅」です。

旧大塚家住宅には、細い路地をとおってアプローチする
旧大塚家住宅の玄関側を見る

 創建は江戸時代末期と推定されており、旧大塚家は漁業と農業を営んでおり、当時としては比較的、大きかったそうです。外観の特徴は、なんといっても茅葺きの屋根。

境川をはさんで外観を見る

 境川側に土間が配され、板の間、座敷、四畳半の間取りで、屋根裏には河川の氾濫などに備えて家財道具を移動できるスペースが設けられています。当時、境川の両側に民家が立ち並んでいたそうで、間取りは境川をはさんで対称だったようです。飲み水もこの境川にたより、そして漁に出るときに用いた船もこの境川に置かれました。だから当然、境川が起点となって家の間取りも配置も決まったわけです。

 フラワー通りに戻ります。そこにランドマークのようにあるのが「旧宇田川家住宅」です。

フラワー通りに面する旧宇田川家住宅は地域のランドマーク

 1869(明治2)年の創建です。「旧大塚家住宅」に比べて、建物の大きさはグーンと大きくなりますが、呉服屋、米屋、油屋などを営んだ商家でした。そのため、街の中心のフラワー通りに面しており、外観の特徴は、格子で覆われた正面と瓦屋根です。四角に製材された太い木を使っていることが、家の格の高さを物語っています。外側の格子越しに、内部の障子を透過した光のやさしさに気がつきます。

旧宇田川住宅の内部より、土間・玄関側を見る

 ただ、それと同時に、ガラスを使わずに、雨戸、紙を用いた障子などだけからなる室内の寒さにも気づかされました。ここで暮らした人たちは、冬、どう過ごしたのでしょうか。一度は、診療所ともなりガラス戸が入ったこともあったようですが、1984年、旧宇田川家の保存修復工事が行われた際には、創建時のかたちに近づけたそうです。そのため、ガラスを一枚も使っていない民家が再度、登場することになりました。

 ところで、最後に銭湯のことにふれます。かつての漁業のエリアであった浦安元町地区では、内風呂のある家は少なく、その分多くの銭湯がありました。ここフラワー通りあたりには、今年の夏ごろまで2軒の銭湯が営業を続けていましたが、残念なことに、1軒は取り壊しが始まり、もう1軒は休業状態でシャッターを閉じたままとなってしまいました。浦安の様子は、また変わろうとしています。 (鈴木 洋美)

休業に入った銭湯(左)と取り壊し中の銭湯。これで、浦安元町からは銭湯はなくなった