TIPコラム
横浜山手地区の西洋館を歩く J・H・モーガン、A・レーモンドの住宅ほか
2025.03.25
横浜のハイカラなイメージが定着するのは、明治維新以降のこと。それまでは海側の単なる寒村にすぎなかったのが、1859年に開港するやいなや、海外からさまざまなモノや人が押し寄せる、日本の最先端エリアへと変貌していきました。いまも、多くの洋館の残る山手地区は、外国人のための居住地となり、洋館、教会、女学校が立ち並びます。
みなとみらい線元町・中華街駅を降りて、港の見える丘公園の急勾配な階段を登っていくと、港をはるか眼下に見下ろす位置に立ちます。このあたりが、フランス領事館とその官邸があったフランス山と呼ばれるところで、官邸で井戸水を組み上げるために用いられていた風車が復元されています。そこから歩を進めると、旧ラフィン邸(現山手111番館)へ。設計者は、アメリカ人建築家、J・H・モーガン。正面には1本の高いヤシの木があり、3連アーチの玄関ポーチがあります。白亜の壁に、屋根には赤茶のスパニッシュ瓦を葺いた姿は、いかにも洋館のすがた(竣工1926年)。中央の吹抜けをもつホールを中心に構成された、ほどよい住宅レベルの空間。1階は、玄関わきの客間、ホールを介して入る食堂など、パブリックな性格をもちます。敷地の隣には、旧イギリス総領事公邸(現横浜市イギリス館)があります。ここでも、一本の長いヤシの木が異国情緒を醸し、白亜の壁に、スパニッシュ瓦の上に飛び出た暖炉の煙突が洋館らしさを強烈に印象づけています(竣工1937年)。




外人墓地を通って、エリスマン邸へ。エリスマン邸は、日本におけるモダニズム建築をひろめたA・レーモンドによる設計。もともと山手町127番地に立ち、和館も付属していましたが解体され、1990年に洋館のみ現在の地に移築・復元されました。下見板張りに白ペンキを塗った、多くの日本人がもつ洋館のイメージに近い。正面を見ると、暖炉の煙突を巧みにファサードのデザインに組み込んでいるのは、いかにもレーモンド風。


エリスマン邸の近くに、旧ベリック邸(現ベーリック・ホール)があります。設計は、旧ラフィン邸と同じモーガン(竣工1930年)。玄関ポーチの3連アーチは共通しているものの、スケールとつくり込みの度合いからも、べリック邸がまさります。入口の3連アーチの周囲は色タイルで彩られ、1階の窓ではアーチのモチーフが繰り返されます。玄関扉もまたアーチですが、こちらは、階段の手すりと同様に鋳鉄(アイアンワーク)によってつくられています。2階は、一転して、プライベートなスペース。独立した水まわりをもつ客間と子ども部屋、水まわりを共有する夫婦それぞれの部屋という配置。豊かな貿易商ベリック家の生活をふまえた構成となっており、外観・内部のディテールを含めて完成度の高い作品となっています。



横浜山手の洋館群は、日常的に、市民の展示施設、音楽会場として使われています。例えば、旧ラフィン邸では、市民の写真展が開かれ、旧イギリス総領事公邸では音楽会が開かれていました。エリスマン邸が移築される際に、レストラン・カフェが増設されています。つまり、使いながら保存するというやり方です。歴史的建造物をどのように保存していくかということに対する、これはひとつの解答例となっています。(鈴木洋美)

