TIPコラム

東京大学の本郷キャンパスを歩く   安田講堂(1925)ほか

2023.08.25

安田講堂の正面。背後の理学部の新校舎により景観が変わってしまった

 東大を一番象徴するのは安田講堂ではないでしょうか。真夏、東大正門からまるで木でつくったトンネルのような銀杏並木を抜けると、真ん中でドンと控えているのが安田講堂(正式名称は東京大学大講堂)です。といっても、カメラ越しから覗いてみると、意外と控えめな印象におさまるのが不思議です。ある建築史の先生に聞いたことがありますが、安田講堂がシンメトリー(左右対称)なのは、東大が国立大学で、一方、早稲田大学を象徴する大隈講堂(1927)が左右非対称なのは私立大学だからというのです。真偽のほどは定かではありませんが、確かに、安田講堂は、見事に左右対称のかたちとなっています。

 ここが東大闘争の舞台となったことを記憶している人も多いでしょう。そのようすは、2日間にわたりテレビによって全国へと実況中継されました。東大闘争自体が、1960年代の学生闘争の象徴の場ともなったわけです。もともと、安田講堂は、1923年の関東大震災による大学キャンパス被害からの復興の象徴でもありました。当時の工学部教授であった内田祥三(よしかず)が、弟子の岸田日出刀とともに設計したもので、安田善次郎の寄贈により建てられたことから一般に、安田講堂と呼ばれることとなります。

工学部1号館。左右対称の建築、右側が建築学科、左側が社会基盤工学科(旧土木学科)となっている

 安田講堂で採用された正面入り口の尖塔アーチと垂直線を強調したゴシック表現が復興キャンパスの共通のデザインソースとなります。たとえば、建築学科と社会基盤学科(旧土木学科)の入る工学部第1号館のファサードを見ると、やはり入り口の尖塔アーチ、ゴシック風の表現、さらにタイルを張った外壁が共通します。

 戦後、工学系を中心に新しい学科の誕生、新たなスペースの必要などにより、復興スタイルを身にまとわない建物が、キャンパス内に建てられていくこととなり、キャンパス内はかつての均衡を失うこととなります。新たに建てられたものも、耐震性能を上げるために、ブレースによる改修がされていきます。都心のキャンパスではデザイン的な配慮を欠いた、機能重視の外観をもつ建物で、埋め尽くされている印象があります。その傾向は、東大とも無縁ではありませんが、豊かな緑の空間が建物の圧迫を抑えています。

機能重視の耐震改修で、建物は鉄骨ブレースでおおわれる

 一方、東大キャンパスの中に、安藤忠雄の建物が加わっています。長辺100メートルの打放しコンクリートの「考える壁」をもつ、情報学環・福武ホール(2008)です。敷地は、長さ100メートル、奥行き15メートルで、道路側の一角。植えられた樹齢百年を超える樹木を切ることなく、建築のボリュームを地下2階レベルにまで埋め込んでいます。東大キャンパス内に独自な世界が誕生したこととなります。

 東大の赤門は、もともとは加賀藩前田家の上屋敷の正門だったところ。明治期以降、それが転じて東大の代名詞ともなりました。1923年から今にいたる100年の流れを、建築を通してみることができる貴重な場所です。キャンパス内には、安藤忠雄のほか、東大出身の建築家、丹下健三、大谷幸夫、香山壽夫らの作品を見ることもできます。(鈴木洋美)

情報学環・福武ホール  長さ100メートル「考える壁」を見る                       地下部分を見る