TIPコラム

普請道楽と職人わざが生んだ雁型和風建築  旧安田楠雄邸(1919)

2024.02.28

2階客間の縁側より主庭を見る。四季折々の花が咲き乱れ、主庭の枯山水をみることができる。3月末には、枝垂れ桜が見頃をむかえる

 旧安田楠雄邸は東京・文京区千駄木の本郷台地にたちます。「銀行通り」とも言われた、当時豊かな市民が住まいを構えた中のひとつ。面積はおよそ500坪、入り口付近の間口は少々狭く、奥にいくと広がる、東西に細長い変形敷地となっています。玄関から応接室を抜けて長い廊下を抜けて母屋に入ると、建物が北側へと下がっており、南側に大きな庭スペースがつくられています。住まいの配置を、ガンの群れが飛ぶときに、先頭から1段、2段と下がって飛ぶ「雁型」のかたちにすることで、大きな面積の主庭が生まれました。

玄関を見る。右側に、家族のための内玄関がある。長い庇の玄関に入ると、大きな沓脱石、板敷きの式台がある。武家屋敷を模している

 竣工した大正8(1919)年は、関東大震災の4年前にあたります。大正デモクラシーの風を受けながら、格式を表す家というかたちに、家族のための家という要素が加わっています。パブリックな空間としては、玄関近くのサンルームをともなった洋間の応接室と、長い廊下でつながる和の空間、京都の表千家のうつしである残月の間があります。10畳敷きで、2畳分の床の間と付け書院があるなど、立派なつくりとなっています。

洋間を見る。創建時と二代目の家主の家族が住み始めたときにつくられた椅子。椅子と椅子の間にあるものは火鉢。冬が過ぎると蓋をして花を飾ることができる
玄関部分と母屋をつなぐ廊下。畳を置かれた左端は板敷きとなっている
「残月の間」 京都にある表千家のうつしで、左側は2畳ある床ノ間、右側の付け書院には、屋根裏にあった棟札が展示されている

 ここから先が家族のスペースです。障子の中央に小さな、左右に引き分けることができる猫間障子のある茶の間は家族の生活のさまざまなものが表出される場であったはずです。茶の間の背後には、生活のバックヤードというべき台所、浴室、仏間が並びます。トップライトのある、明るくて使いやすい台所は一際目を引く、家中でも居心地のよい場所となっています。 1929年、三代目の家主となった安田楠雄氏の結婚に際して、台所の土間を板張りにし、シンク、コンロと作業台を中央に置くアイルランド型キッチンへと改造されました。2階にある客間は、主庭を見下ろすことができ、とても格式が高いもので、続き間となっています。 

トップライトのある明るい台所。土間から板敷となり、センターにはシンクとコンロと作業台のあるアイランドキッチンとなっている

 もともとの建主は、エリート銀行マン、藤田好三郎。藤田と和風建築に定評のあった清水組(現清水建設)の職人が協働して、相談しながら建てられたようです。全体の趣向は、繊細な数寄屋づくり。だから、使われている柱、梁などは、決して太くはありません。見た目の印象は、スリムで軽い感じの仕上げとなっています。こだわりは、細部に及びます。特注でつくられた灯具が、ほぼ当時のまま使われていますが、さまざまなペンダント型を中心にバリエーションが豊富。ガラスも同様で、その表面が平滑ではなく、中央部分が多少盛り上がっているようすもなかなか味わい深いものです。

 100年以上前につくられ、関東大震災、戦争による被災を受けずに、一部の耐震改修をのぞき、椅子をはじめとするインテリアを含めて竣工時のようすが残されていることは、奇跡と呼んでもいいはずです。旧安田邸は、一部敷地が切り分けられましたが、1996年に日本ナショナルトラストに寄贈され、現在、毎週水・土曜日に一般公開されています。(鈴木洋美)

2018年から2019年にかけて、耐震補強工事を実施している。土壁部分を取り除き、写真のような耐力壁(スギ板を複層に斜めに重ね合わせてビス(または釘)留めしたもの)を入れて、もとのように土壁にもどしている