TIPコラム

戦時下に生まれたモダニズムの空間  前川國男自邸(1942)

2022.08.01

南側外観を見る。真ん中の棟持ち丸柱が特徴的だ

 日本の近代建築史に必ず登場するのが、この「前川國男自邸」(1942)です。5寸勾配の大屋根のかかった和風の外観からは想像もできない、内部には豊かな吹抜け空間が包み込まれています。南側外観を見ると、左右対称なかたちで、その中心にある棟持ち丸柱が特徴的だといえます。その背後にある格子状のはめ殺し窓のところに、二層吹抜けをもつ居間があるのです。

 正面の玄関にまわり、中に入って一転し、この「モダニズムの空間」と出会います。真ん中の居間を中心に左右に寝室・台所と書斎と女中部屋が配されたとてもシンプルな平面構成となっていますが、その居間の高さは二層分(4.5m以上)に達するものです。南側全面を覆うガラス窓が一種のフィルターとなっており、光の取り入れ方、外部空間と内部空間のつなぎ方など、従来にない建築空間が生まれています。和風な外観の中に、ダイナミックな空間が包み込まれていることが、この住宅の面白さです。

設計の中心となった居間吹抜け空間と、ロフト風の2階への階段を見る

 この建築が生まれた時代背景を押さえておくことが必要です。計画・設計された段階ですでに戦時体制下にあり、建築資材の統制が進み、鉄筋コンクリート造でつくることはできず、また一般住宅の場合、延面積は100㎡以下に制限されていました。その中で、設計者は、木造によって設計することを余儀なくされます。資材統制がなく、構造形式を自由に選ぶことができたなら、木造とはならなかっただろうし、5寸勾配の大屋根はかからずに、フラットルーフとなった可能性も大きかったと思われます。なんといっても、設計者はモダニズム建築の巨匠、コルビュジエの弟子なのですから。実際、後年、1974年に自邸を建て直したときには、設計者は鉄筋コンクリート造を選んでいます。この住宅の面白さは、さまざまな制約があるなかで、設計者が数ある要求を絞り込み、その実現に精力を傾注したことにあると思われます。そのため、二層分の吹抜けたをもった居間をもつ住宅が生まれることになったわけで、その竣工は米国との戦争へと突入した1942年だったのです。

居間吹抜け空間、南側ガラス窓方向を見る

 木造建築の良さといってもいいと思いますが、1974年に自邸が建て替えられた際に部材解体され、設計者の別荘のある軽井沢で保存されていました。それをもとに、1996年に東京・小金井市の江戸東京たてもの園で復元されて、その姿をふたたび私たちの前に表したのです。外観は竣工時のすがた、内観は改修された1956年当時のすがたを基準に戻されたといいます。 (鈴木 洋美)