TIPコラム

建築家・吉阪隆正のレガシー  Villa Coucou、1957年

2025.09.29

道路側より見た外観。近くの子どもたちは、「ゾウさんの家」といったというが、裏の庭側へアールの勾配をもつ外観は、どこか愛嬌がある。2階の軒部分にある12の換気口は天井裏に通っている。壁の施された彫刻は、ジャンカ部分に施している。吉阪は、当初ジャンカをそのまま残すことを考えたが、近藤と話し合い、彫刻家の協力を得ることとなった。1階の書斎にある窓の前には、コル譲りの「ブリーズ・ソレイユ」(日除け)。一時、鉄格子になっていたものを竣工時に近づけた(コンクリート製可動パネル)

 

 建築家・吉阪隆正の名建築として知られるヴィラ・クゥクゥが、持ち主亡き後、女優・鈴木京香へと手渡され、竣工時のかたちにほぼもどされて定期的に公開されています。カメラやスマホを手に、建築好きの人が集まり、熱心に建物へ熱い眼差しを向けています。室内には、鈴木京香のコレクションが配され、吉阪の空間に違和感なく溶け込んでいます。

 小さな名建築。吉阪の大学の山岳部の後輩で仏文学者である近藤等が、大区画の住宅が立ち並ぶ場所で、約60坪の敷地を取得したところからプロジェクトがはじまりました。一説には、吉阪より近藤へ、ピロティ案と紙を幾重にも折り曲げた案が示され、土地を分けていただいた人への配慮から近藤が後者を選んだと言われますが、近藤が吉阪を信頼して任せたというのが真実ではないでしょうか。

庭側より、書斎・寝室を見る。一時、寝室は、壁で仕切られていたが、竣工時の姿にもどした。書斎の手前のキャビネットは、フランス文学専攻の近藤に合わせたトリコロール。2階の寝室の腰壁はスクールカラー(早稲田レッド)。壁には、鈴木京香のコレクションがさりげなく掛けられている

 ここには、たしかに吉阪の師コルビュジエの影響を容易に見ることができます。コンクリートの打放しによる自由な造形、階段下にあるロンシャン礼拝堂に見られる色ガラス、庭から屋根を見るとユニテ・ダビダシオンを彷彿とさせる煙突のようなものまであります。これらは、後期へと向かうコルビュジエの作品群で、フランス留学時、コルビュジエの事務所でユニテ・ダビダシオンが吉阪の担当だったことを連想させます。

書斎を見る。造り付けの机、書棚は竣工時に近づけた。書棚の本は、吉阪、コル関係のものが並べられている

 ところが、それらは一面的な見方だと思われます。吉阪らの設計チームは、設計に際して、図面を描き、模型をつくり、現場に立って変更を加えるという、気の遠くなる作業を行なっています。設計チームのひとり、滝沢健児の著した『形の意味/建築・部分』(彰国社、1964)には、建築の形の意味とディテールのかかわりについての綿密な考察が書き留められています。吉阪チームは、建築のかたちが生まれる以前から考察をはじめ、もちろん最終的には建築のかたちとなりますが、私たちが見ているのは、その結果にすぎないのです。彼らが、この小さな住宅に込めた考え、検討したことの中身は、直接、建築のかたちから理解することはむずかしいと思われます。(吉阪チームのスタディは、吉阪の唱えた「有形学」ともかかわりがあるのでしょう。)

2階より階段を見下ろす。片持ち階段で、手すりは片側壁と右手前の手すりのみ。山男にとって、これぐらいの勾配なら大丈夫というところか

 名建築を支えたのは、やはり施主である近藤夫妻です。延べ面積70㎡ほどのワンルーム空間に、半世紀以上住み続けました。ふつうの人には受け入れがたい、片側に手すりのない階段を受け入れることは、山男にとってはむずかしいことではなかったのでしょう。モノが部屋にあふれれば、庭に物置をおいてしのぎました。近藤は、設計の意図を汲んで、大きく内部空間を変えていませんが、生活していく中で変えたことは、2階の寝室との間に仕切りを設けることでした。階段を上がったところにドアを取り付け、防音・暖気遮断などの理由から腰壁の上部をガラスで仕切り、内側にカーテンも取り付けられていましたが、改修を経て竣工時の空間に復元されました。吉阪の空間は生活空間として少しずつ変えられていきましたが、その質は最後まで保たれました。近藤夫妻にとっては、ここは自分たちのためつくられた都会の山小屋であり、唯一無二の大切な空間であったことが感じられました。(鈴木洋美)

1階より階段部分を見る。階段下の色ガラスが、室内に彩りを添える