TIPコラム

居間中心の家族のための住まい  田園調布の家「大川邸」(1925)

2022.10.31

南側外観。右側がパーゴラに面した寝室と居間、左側が書斎

 住まいは誰のためにあるのでしょうか。「家族のためだ」と答えられるのは、実は近代に入ってからで、それも一部の都市の先端的なエリート層に限られていました。それまでの典型的な民家は、住まいのかたちが生業(なりわい)と分かち難く結びつき、例えば大きな土間空間は作業空間であり、そして江戸・明治期の都市型住宅であった町屋は店舗を併用した住宅でした。だから、父母とその子どもを中心とした「小家族」(核家族)に特化した住宅というのは文明開花の時期にあたる明治を過ぎ、都市文化の花開いた大正期末に入ってようやくかたちを表したのです。

居間を見る。大きな窓と一体化したソファ

 ここに登場するのは、「田園調布の家」です。高級住宅地として知られる東京・大田区に建てられました。英国で試みられた都市と自然の調和した「ガーデン・シティ」(田園都市)をモデルに、実業家渋沢栄一によって設立された田園都市株式会社によって開発された郊外住宅地でした。それは、都市中心部から郊外へと私鉄が延伸される中で、駅と不動産が開発を一体化させたもので、新駅を中心に放射線状に広めの住宅区画がつくられていきました。1923年の関東大震災によって東京が大きなダメージを受ける中で、新興サラリーマンたちの郊外での住宅取得熱は大きな高まりをみせ、この家が建てられた1925年ごろは大変な人気があったようです。

食堂を見る。大きな窓と白を基調とした造り付け食器棚

 大きな窓としゃれた白いパーゴラ、それに瓦を葺いた屋根もどこか軽やかで明らかに洋風のテーストが感じられます。では、玄関から内部に入ってみましょう。もともと、椅子を中心とした生活が前提になっています。ホールを介して家族のための居間と食堂が家の中心にあり、その居間は食堂と、そして食堂は台所と機能的につながります。部屋名と機能の一対一による結びつき(機能による部屋の切り分け)がここでは、実現しているのです。居間を一瞥してみると、当時考えられていた洋風の要素がこの一室に詰め込まれているかのようです。応接セットにピアノ、それに大きな窓空間と一体化したソファに目がいきます。ここは、来客のためだけの特別な空間ではなく、日常的に家族も集う生活の場でもあったのでしょう。居間のコーナに設けられたこの大きな窓の外には、植物が絡まったパーゴラがあり近隣との距離感を微妙に調整するなど、細部にいたるまで考えられた構成となっています。 (鈴木 洋美)