TIPコラム

和と洋をつなげたモダニズム建築  堀口捨己の「小出邸」(1925)

2022.09.26

南側外観。1階と2階の水平な軒の出が、水平性を印象づける

 建物の南側から近づいて行くと、1階と2階の水平な軒が特徴的な外観が現れます。そこには、大きな窓面があり洋風の佇まいです。さらに、近づいて行くと、瓦の屋根の存在が気になり出します。手前の建物が四角の瓦屋根をもつ家に食い込んでいるかのようにも見えてきます。まったく異なる和と洋のかたちが融合されている外観ですが、これは、設計者・堀口捨己(1895-1984)が意図的に行ったものなのです。

玄関。突き出た水平な庇のうえに、方形の瓦屋根がのる

 堀口捨己は、当時の建築界の主流に反旗を翻した分離派建築会の主要なメンバーでした。彼らは、同時代のヨーロッパにおける建築をめぐる潮流を貪欲に吸収しながら、自らの表現を模索します。彼らの求めたこととのひとつは、「構造物」としての建築ではなく、作品としての建築でした。1923年には、直接ヨーロッパに出向き、旺盛に知識を吸収しました。その中で、堀口がもっとも影響を受けたものがオランダの近代建築(アムステルダム派)と言われています。ちょうど、小出邸の話が友人から舞い込んだのはそんなときでした。子どもたちが独立したあと、小出夫妻二人のための家をつくるというものでした。

応接間。家具からすべてを設計した堀口好み仕上げ

 堀口が力を入れたのは、まずは立面構成だったと思われます。水平屋根面と、四角い方形屋根面の融合は、アムステルダム派的な要素を超えて、日本的な要素とヨーロッパ要素(近代)の融合と見ることができます。日本では、瓦屋根を乗せることで、日本らしさが強く演出されます。ここで採用された方形屋根は、社寺建築に起源をもつもので、和の要素が象徴的に表現されています。

 こだわりと言えば、応接間です。家具を含めてすべて堀口自ら設計しています。壁と天井には鶯系の無地の壁紙と一部に銀箔がはられ、規則正しく縦材によって分節されたようすは、オランダのデ・ステイル派の影響が読み取れます。

続き間。食堂より寝室を見る

 さて、食堂から茶の間、寝室へと目をやると、そこに広がるのは和の空間です。襖によって仕切られる続き間となっており、寝室の押入れの立面構成には、堀口の個性が伺えるものとなっています。このように、小出邸は、人生の後半に向かう夫婦のために、和と洋の要素がバランスよく取り入れられており、夫妻が亡くなったあとも家族によって1996年まで住み続けられました。 (鈴木 洋美)