TIPコラム
匠たちの競演が生み出した彫刻のような建築 日光東照宮(1617、1636)
2025.10.29
遠く日光の地から江戸を見守るように建てられた日光東照宮。「日光廟」とも呼ばれることもあり、江戸幕府を開いた徳川家康を「東照大権現」としてまつる神社です。家康が、日光でまつられることになったのは、遺言によります。家康は、1616年に亡くなるとすぐに静岡の久能山に葬られ、その翌年に東照宮に改葬されました。
東照宮がいまのようなかたちになったのは、第三代の家光のとき。家康の21回忌にあわせて、大規模な改築、増築によってつくられました(寛永造替)。工期はおおよそ1年半に満たない短さです。この間、江戸幕府の財力をバックにおよそ工事にかかわった人力は延べ450万人にも達しました。この「国家プロジェクト」を仕切ったのは、大棟梁の甲良宗広。その領域は、建築様式の決定から彫刻の指示まで及ぶ、いまの建築家に近いとも推定されています。


東照宮での特徴は、あたかも建築を埋め尽くすのかのような彫刻群。石の鳥居を抜け、表門を通り、石垣を駆け上がると目にするのが陽明門です。門の上部にはビシッとつまった竜たちがこちらをのぞきます。これは、建築と一体化した「建築彫刻」と言われますが、よく見るとひとつひとつの表情が異なりそれが集まってマスをかたちづくっています。それは、江戸幕府の初期の奔放さの現れであるとともに、さまざまな職人たちのエネルギーの結集だといえます。

本殿、拝殿の大工手間の約4割が「彫物大工」によって占められています。当時、棟梁につぐ腕の大工が彫物にあたったといい、甲良宗広も彫刻の名手であったことが知られています。全国から動員された多くの彫物大工たちがワザを競った結果だと見ることができます。陽明門とともに唐様(禅宗様)でつくられ、さらに大胆にアレンジされたのが唐門です。唐破風は大胆に変形され、欄間には舜帝の朝見の儀のパノラマ彫刻が嵌め込まれています。門全体が、彫刻作品のように見えます。

モニュメンタルな建築は、構造合理性を超えたさまざまなものを身にまとい様々な意味を体現します。金箔を多用した様子は、桃山時代の文化を伝えるとともに、タイの寺院建築を想いうかべるかもしれません。陽明門の竜、蟠竜、竜馬、麒麟、鳳凰などの空想の動物たちを含めた彫刻群は、わたしたちをさらなるエキゾチズムへと掻き立てています。こうしたものの力が合わさり、東照宮は人々をいまなおいざなっているのです。「平成の大修理」と呼ばれるプロジェクトでは、2003年から2024年にかけて、国宝に指定されている東照宮の本殿、石の間と拝殿、陽明門の保存修理作業が終了し、竣工時のあざやかな様子を取り戻しました。(鈴木洋美)


参考図書
大河直躬『日本の美術20 桂と日光』(平凡社、1964、第2版1979)
田中祥士『東照宮の近代』(ペリカン社、2009)
