TIPコラム

丘陵地に埋め込まれた光と風がつくる住宅  粟津潔邸 AWAZU HOUSE ・1972

2024.06.26

1階アトリエの北側の壁方向を見る。トップライトから降り注ぐ光の状態で、壁はさまざまな陰影を帯びる。置かれているテーブルは、建築家・槇文彦から贈られたもの。粟津と槇は1960年の世界デザイン会議をきっかけに結成されたメタボリズムグループのメンバーだった

 建築家・原広司の1970年代はじめの代表作品であるアトリエをもつ住宅。1967年、原が30歳のとき、『建築に何が可能か』を刊行しますが、デザイナー・粟津潔が原の「有孔体の理論」に興味をもち、設計を依頼したものです。世界のどこにでも成立するミースに代表されるモダニズム建築を「均質空間」と呼び、その批判者であった原の実作として、粟津邸を見ることができます。

屋上の玄関を見る。竣工時の鬱蒼とした林は、戸建てが建ち並ぶ様子へと変わっている

 敷地は、東京郊外、川崎市生田の丘陵地。粟津の友人だった美術家の中村正義が見つけてくれました。建築作品に発表された竣工時の写真を見ると、鬱蒼とした林の傾斜地に立っています。当初から、そのうち宅地造成が進み、自然環境は一変するだろうというのが原の見立てでしたが、まさにその通りとなりました。

玄関を入る。玄関を過ぎると半円筒のドーム屋根へ。竣工時、スチールとポリカーボネートであったが、5年後にやりかえている
2階ホーム部分(左)とアトリエより玄関方向の見上げ(右)。内部は、玄関、ホール、アトリエのセンター軸を中心に左右対称に構成されている
アトリエのトップライトを見る

 雑誌に掲載された図面を見ると、玄関が屋上となります。屋上から、2階のホール、1階のアトリエへと降りていく構成となっています。傾斜地の地形をそのまま活かしているのです。原は、建築の根拠を内部に求めます。それが「内核」といわれるもので、建物の中心を貫通する階段とホール、そしてアトリエが内核となって、家族の部屋などともつながります。この内核にかかわる重要な要素が「孔」なのです。玄関を入ると円筒状のトップライトがホールへと光を届けます。さらに、降ってアトリエに入ると、その天井にはガラスのトップライトが空に開いてます。そして、よく見ると、アトリエに面した書斎と子供部屋にも通風のための孔があいています。屋上にある玄関から見ると、1階のアトリエは地階のようでもあり、視覚的には周囲の環境から切り離されているのに、光と風を感じることができます。これが、孔が生み出した成果であり、訪問者が感じる驚きです。

1階につくられた4畳半の和室(茶室)。原にとって、住宅に和室は欠かせない要素である。藤森照信との対談では、和室は予想しないことが起きた時の「逃げ場」、「一種の保証書」であるという(『藤森先生茶室指南』彰国社 2016)

 発表当時の原の文章によると、子供が独立した後にそこを取り外してギャラリーへと変えられることが、計画に組み込まれていたことがわかります。実際に、この家から子供たちが独立し、粟津潔が亡くなったあと、しばらくの間奥様が住み継ぎ、その後息子の粟津ケンはアートセンターとして、利用しながら保存する道を探っています。彼は、個人的な家への愛着と同時に、名建築として世界から訪ねてくる人たちもいるなど、粟津邸を維持していくことの大切さに気づかされています。一時的な建築の補修などにはクラウドファンディングなども利用できますが、その後、だれがどのように粟津邸を維持し続けていけばいいのか。今年で、竣工後50年を超えた粟津邸は、いま大きな課題を抱えているのです。(鈴木洋美)

庭より粟津邸を見る。土地の傾斜を生かして配置されているが、土の中に埋めたようにも見える