TIPコラム

上野の森の中にたたずむ音楽の殿堂  旧東京音楽学校奏楽堂       

2022.04.13

上野の森の中にたたずむ奏楽堂。建物正面を見る

 JR上野駅の公園口を出ると、すぐそこに東京有数の音楽ホールである東京文化会館(設計:前川国男)が右手に、左手には国立西洋美術館(設計:ル・コルビュジエ)が目に入ります。この両作品とも、日本建築史において重要なマイルストーンとなっていますが、そこを通り過ぎ、動物園の入り口手前で右手に曲がると、少しずつ姿を現すのが「旧東京音楽学校奏楽堂」です。木々の中に、ひっそりとたたずむ姿が印象的ですが、真ん中の建物を中心に、左右に別の建物がつながっている、一見、分棟にも見えるため、そのボリュームの大きさにはなかなか気づくことはありません。

 この建物は、1890年に東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)の専用ホールとして、もともとは音楽学校の敷地内に建てられたものです。1929年に日比谷公会堂(設計:佐藤功一)が登場するまで、ここが日本を代表する音楽ホールでした。木造2階建て、屋根には桟瓦が葺かれています。当時、文明開花の流れの中で、学校教育の中に音楽という科目が生まれ、唱歌と奏楽(楽器演奏)が設けられることとなりますが、日本の音楽教育の総本山としての役割とともに、音楽家の養成の中心となったのがこの音楽学校です。日本音楽史に欠かせない滝廉太郎、山田耕作らがこのホールで音楽を奏で、そして三浦環によって日本人初の本格的なオペラがここで初演されたのですが、そう考えると、この音楽ホールがこうした歴史の生きた証人のように見えてきます。

階段を上る。窓の割付けが面白い

 ところで、このホールは、1981年には老朽化を理由に使用が全面禁止され、一時は他の場所への移築保存が検討されましたが、作曲家芥川也寸志、黛敏郎ら音楽学校OBの反対もあり、台東区のもとで上野公園の敷地内に復元移築工事がなされ、現在に至ります。

 2階に上がると、舞台の中央にはパイプオルガンが目に入ります。客席は、310席ですから、今の水準からしたらこぢんまりとしています。客席の左ソデを出るとホワイエがあります。幕間には、ここに人々が集い、飲料を右手に歓談した様子が想像されます。

 1階の展示室には、この奏楽堂を介して、日本の音楽史についての展示が目を惹きます。建築に目を転ずると、2階音楽ホールの漆喰壁の中には藁束がぎっしりとつまり、1階の練習室の壁には大鋸屑が詰められていたそうです。当時、数少ない情報と実験をもとに、音響上の工夫がされていたことに気づかされました。

客席より舞台を見る

 1988年には、国の重要文化財に指定、2018年にはリニューアルオープンされました。木曜、日曜日に東京芸大生による定期コンサートが開かれ、一般へのホールの貸し出しもしています。このように、音楽ホールとして活用されながら保存されている数少ない実例となっています。 (鈴木 洋美)