TIPコラム

リ・スタートするアトリエをもつ住宅   三岸アトリエ(設計・山脇巌、1934)

2025.11.26

南のガラス面を見る。木のマリオンのサッシュはアルミサッシュに替わり、らせん階段の1階部分は壁でふさがれた

 かつて「国際様式」という言葉は、輝かしく光っていました。きわめてシンプルで、合理から組み立てられた「とうふ型」の白い箱の建築。重力から自由になったガラスの壁からは、明るい光が室内にそそぐというイメージです。日本におけるその代表作品が、この三岸アトリエでした。留学先のドイツのバウハウスが、ナチス台頭という社会状況の中で閉鎖されるにともない日本に戻った旧知の山脇巌に、画家の三岸好太郎が設計を依頼したのは当然の成り行きかもしれません。山脇が、本住宅を紹介した文章によると、三岸の頭の中では、すでに建築の造形的なイメージが出来上がっていたといいます。それは、「今度の画室は北に壁をつけて他の三面は全部ガラスにしてしまう」というもの。設計は、三岸のイメージを現実化すべく、山脇との協働によってつくられていきました。

北側の壁を見る。トップライトは塞がれたまま

 可能なら鉄骨造か鉄筋コンクリート造でつくりたいところ、予算の関係で木造でつくられました。これが「木造モダニズム」と呼ばれる所以。アトリエでは、北側の安定した光をとるのが普通のところ、東南の2面をガラスにしています。山脇は、「限られた予算の木骨構造では冒険」と書いています。コーナーウィンドウをもつ2層吹抜けのアトリエを中心におき、最小限の生活設備と居室をもつ家。そこには、らせん階段があり、南側はガラスが全面、東面にはコーナーウィンドウ、北側にはトップライトが設けられました。ところが、三岸は完成を待たずに、急逝。その後をついで、完成させたのが妻で、画家の三岸節子でした。

建築雑誌『国際建築』に掲載された竣工時外観。南側はほぼガラス、建築の軽快さを印象づけるコーナーウィンドウ
現在の玄関、応接室、外観。これによって、コーナーウィンドウが見えなくなった。今回の改修では、この部分が取りのぞかれる

 この「冒険」には、無理があったのか、竣工直後から北側のトップライトから雨漏りがあったり、1938年前後の改修では南側のガラスの三段目まで曇りガラスとなりガラスの見込みも倍ほどにすることで構造面を補強しています。こうした大きな改修は都合3回行われ、建築シルエットをかたちづくっていた片流れ屋根の上には寄棟屋根がのせられ、応接間の増築にともないコーナーウィンドウは見えなくなり、木建具の窓がアルミサッシへと変わりました。一方この間、2014年には、国の有形登録文化財に登録されるなど、本建築の歴史的な価値が再評価される流れが生まれました。

南のガラス面、正面が旧玄関
隣のカーサビアンカの屋上よりアトリエを見る。創建時は片流れの屋根だったが、寄棟屋根と下屋庇となっている。左に見えるのが増築された玄関・応接室。今回の改修で取り壊されるが、建具・造作・床仕上げなどの部位は、カーサビアンカ1階部分に移設する予定

 竣工から90年、三岸の遺族は、名建築を残す活動をする団体をとおして、キーマン(大阪に本社をもつ、耐震改修などを手がける会社)に継承を前提に譲渡しました。再生事業を担う建築家として、選ばれたのが樋口智久(建築継承研究所)。敷地内にある賃貸棟(カサビアンカ)と一体的に計画され、地域にも開いていく場所としても位置づけ、三岸アトリエの創建時の設計意図を最新技術で実現することに。樋口はこれを「新木造モダニズム」と呼びます。南東面のアルミサッシュは、竣工時の見付に近づけ(50mm程度)シャープな印象にし、コーナーウィンドウも復活させます。屋根も寄棟屋根を取りのぞき片流れ屋根とし、北側のトップライトも復活させるなどとしています。民間主導による、使いながらの文化財保存への挑戦です。改修工事はすでに着手され、完成は来年の秋ですが、いったいどのような状態で、三岸アトリエが私たちの前に再び登場するのか、完成を待ちたいと思います。(鈴木洋美)

※参考:『国際建築』1934年11月号