TIPコラム

パリ市民のよりどころ ノートルダム大聖堂(1163〜)

2022.02.28

 パリの中心、セーヌ川の中洲であるシテ島に立つパリカトリック司教座。パリという地名の由来は、紀元前1世紀ごろ、ケルト系のパリシイ族がシテ島に住みついたことに遡ります。パリシイ人をこの地から追い出したローマ人が、シテ島を中心に都市を築いていきました。だから、この地はパリという都市のお臍のようなところとなります。

 現在の教会は、5世紀、6世紀につぐ3番目のもの。建築された12世紀では、教会建築は当時の最先端技術の粋を集めたものであり、それ自体が巨大な美術作品でした。この教会がもっていたインパクトは、現代のわたしたちの想像を遥かに超えていました。

 全面に彫刻をあしらった、西側正面をみてみましょう。双塔をもつ立面は、たて・よこがきれいに3分割されています。この中心にあるのが「バラ窓」です。中心の円より放射状に広がっています。ここから内部に光を導き入れるのです。

 では、中へと入ってみましょう。中央の広い通路を「身廊」といいますが、十字架のある祭壇(内陣)までが視野に入ります。教会は、身廊の両側には2つずつ廊下のある「5廊式」ですが、大きさと高さに注目です。入口から祭壇までは、おおよそ120m、高さは30mを超えます。ノートルダム大聖堂は、初期ゴシック建築の傑作と言われますが、ロマネスク様式と比べて、高さと大きさ共にスケールアップしたことに大きな特徴があります。  

 天井を見上げてください。真ん中に6つの曲線が集まっていますが、これは「6点リブ・ヴォールト」と呼ばれるものです。石やレンガを用いて天井(屋根)を架ける技術です。この巨大な重さ(力)が柱を通して地面に伝えられることになるのですが、この力を受け止める工夫が必要となります。それが、「(フライング)バットレス」(飛控え)といわれるものです。このしくみは、補強用の壁を設けて、壁に加わる巨大な力を分散させることで倒壊を防ぐものです。ゴシックの教会建築を支える重要な技術のひとつです。

 2019年の火災により、ノートルダム大聖堂の尖塔と屋根が消失したことを記憶に留めている人も多いと思います。また、なぜ、石で葺いたはずの屋根が燃えたのだろうと、不思議に思われるかもしれません。実は、ノートルダム大聖堂の屋根は「二重構造」となっています。石で架けられた天井(屋根)の上に、雨仕舞い用の屋根が木造で架けられていて、その部分が火災で消失したのです。2024年のパリ夏季オリンピックまでには、他の箇所も含めて修復される予定となっています。 (鈴木 洋美)