TIPコラム
江戸風情を伝える蔵造りの町並み (埼玉・川越市、重要伝統的建造物群保存地区)
2026.07.29

埼玉・川越市は、「小江戸(こえど)」と呼ばれます。それは、江戸時代の初期の町割りの上に立つ蔵造りの町並みのイメージが強いからかもしれません。しかし、歴史を遡ると、川越の蔵造りの町並みは明治の中ごろ、1893年の川越大火以降、その復興の中でかたちづくられたものです。この川越大火では、当時の町の戸数3,315戸のうち、その3分の1にあたる1,302戸が焼失するという大きな被害となりました。そのなかで類焼を免れたのが、1792年呉服太物商、近江屋半右衛門が建てた店舗住宅(大沢家住宅、国指定重要文化財)でした。2階建て、間口6間、奥行き4間半の蔵造り。その耐火性の高さが見直され、蔵造りによる再建に踏み切る商家がぞくぞくと続いたというわけです。


そのとき、お手本となったのが江戸時代から明治初期につくられた日本橋界隈にある土蔵造りの商家群でした。ですから、当然、当時の日本橋界隈のようすと似たものとなりました。ただ、一軒ごとに見ていくと、それぞれのつくりは大きく異なることに気がつきます。そもそも江戸時代の商家は、外観に派手さはありませんでした。武家屋敷の白壁に対して、商家は黒漆喰の外壁が基本です。そのことは、大沢家住宅を見ても納得できます。2階についている格子をふくめて、外観はあくまで控えめです。目立つ鬼瓦、うだつがあるわけではありません。ところが、再建された蔵造りの民家は、屋根の棟は高くなり、鬼瓦は大きなり、大きなうだつも登場します。金持ちであることを表現する意匠が外側にはみだし、2階の扉は必要な耐火・防火性以上に厚みを増すことになります。これは、士農工商という身分社会から解放された商人たちの自己表現でもあったのでしょう。



昨年、川越市の訪問客は700万人を超えたとされますが、その多くの人たちがめざしたのが、この蔵造りの町並みです。ところが、1970年代の中ごろには商店街は寂れ、取り壊される危機が訪れました。実際、この時点で多くの蔵造りの民家が壊されたといいます。この蔵造りの民家の価値に気づき、1983年に保存に立ち上がったのが地元の人たちでつくった川越蔵の会でした。かれらの運動が、1999年の「重要伝統的建造物群保存地区」の指定という成果と結びつくこととなります。電線は地中化され、南北約430m、東西約200m、コアとなる約20軒の蔵造りの民家をコアに、若者たちを惹きつける店などがつくられています。時代の変化にも柔軟に対応しながら、多くの人々を惹きつける観光名所へと大きく成長したというわけです。(鈴木洋美)

